自分史①【誕生】
40歳になったらやりたいと思っていたこと。
それは『自分史』を作ること。
4月に40歳の誕生日を迎えてから、早2ヶ月半。
やりたいではやれないとこは分かっていた。
いつやる?
それを決めよう。
そう思っていた。
そして、私は決めた。
今日からやってみようって。
今日は私が生まれた日のこと。
これは私の記憶ではなく、母の記憶。
毎年私の誕生日に語る母の話。
私は1979年4月18日13時半頃この世に産まれた。
その日は、母はいつもの定期検診だった。
とっても良いお天気で、母はお布団を干して病院に行ったそう。
母は慢性腎炎を患っており、ハイリスクの妊婦だった。
それが原因かは定かではないが、妊娠中毒症だった。
検診の結果、今すぐ赤ちゃんを出さないと、母子ともに危険な状態になるとのことで、緊急帝王切開でその日に私は産まれた。
2560グラム。
ギリギリ保育器に入らなくても良かったらしい。
母はあっけらかんとこの話をいつもしてくれていたけど、私を妊娠したのが分かった時、かかりつけの先生には子どもは諦めた方がいいと言われたそう。
それでも母は『この子は大丈夫』と産むことを決めたと教えてくれた。
この母の決断のお陰で私はこの世に産まれることができた。
母の決断によっては私はもしかしたら産まれてくることができなかった命だったからかもしれない。
そう思うと、感謝しかない。
父の話もちょこっと。
父は緊急帝王切開になった時、祖母と病院に駆けつけた。
そこで、『何かあった時、母親と子供とどちらの命を取りますか?』と聞かれたらしい。
2人は『母親の命を助けてください』と言ったそう。
こんなドラマみたいなこと、聞かれるんだ!
と思ったと同時に、本当に何が起こってもおかしくない状況だったのかもしれないと思うと、本当に産まれてこれて良かったと思う。
神さま仏さま(?)本当にありがとう。
そんな私は40年間、今のところめっちゃ健康。
入院したのは子どもを出産するときの3回だけ。
骨折もしたことないし、大きな病気はしたことなくて、母の『この子は大丈夫』という確信は今のところ間違いじゃなかった!
私の名前は家族の名前を一字ずつとってつけられた。
それと、母が高校生の時につけたいと思っていた名前だったそう。
「まみこ」
私はこの名前がとても気に入っている(^ ^)
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